心動を錨とした思考 〜メモを傍に置くことによる強制言語化習慣〜
全ての思考は心動、つまり何らかの感情ドリブンでないと楽しくないから長続きしない。
プラスの感情で言うとワクワク(好奇心)、心が暖かくなるようなホワ〜っとした幸せな感情、不確定性に基づくドキドキ(興奮)など。
中立およびマイナスの感情では違和感、悔しさ、腹立たしさなど。
これらの感情、心の動きが中心にないと、思考の前段階である情報収集の時点で虚無感を感じてしまい楽しくない。
この意味で心動を錨とした思考が大事だと考える。
そして感情ドリブンで見つけてきた対象に対しての思考を行う時に重要なのが傍にメモを置いておくということ。
メモとは思考のバトルフィールドである。
そのバトルフィールド上でいろいろな思考が戦わせること自体が楽しく、幸せなのだ。
だからメモを取って考える力を養おう、だの本の内容をまとめてあとでアウトプットしてブログの集客をしようだの意味ドリブンのメモをしてしまうと楽しさが濁ってしまう。
自分があるファクトに対してどのように考えたのか、なぜ違和感を感じたのか、感情レベルではどのように感じているのか、そしてその裏にはどのような抽象概念が横たわっているのか、といった思考や感情がどのようなものなのかをまずバトルフィールド上に繰り出してあげなくては思考も始まらない。
繰り出された思考や感情同士の対立構造を考察したり、はたまた共通点を抽象化して他のものに転用したりといった楽しさがある。
だからとにかく傍にメモを置き自らの感情や思考を吐き出してあげることが楽しいのだ。
メモを書く習慣をつけることは言語化を強制する効果がある。
自らのモヤモヤとした感情や、何かを見て感じた抽象度の高い感想をそのままにせず言葉として吐き出さなくてはならない義務が発生するのだ。
だから本を読むときも、音楽を聞くときも、動画を見るときも、映画を見るときも、常に傍にメモを置いておくこと。
それによって外部の物事への感度を上げられる。
感度を上げられるということは自分が楽しい、興味深いと感じられる対象物が増えることを意味するため人生の中で楽しいと感じる時間が増えるということであり、そうなれば当然幸せである。
感情に基づいた思考は楽しい。
そのためにメモを常に傍に置き、言語化を癖にしよう。