虚無と闘う大学院生

大学4年間を虚無と堕落で埋め尽くした大学院生が熱量を取り戻すまでを描いたブログ

2020-04-01から1ヶ月間の記事一覧

息苦しさへの感度を上げて自分に優しくすること

真面目で意味を求めてしまう人がすぐに楽しさドリブンの行動者になるのは難しい。 ある時は楽しさを軸に行動できていても、すぐに意味を求めてしまう。 純粋な興味を基に読み始めた本を細部まで、最後まで読もうとしてしまったり。 意味を求めてしまっている…

点に集中し、それでもつまらなければメモらない

ここ2週間ほどメモを取りながらいろいろなものに触れてみて気づいたことがある。 それはメモの大半はゴミであるということ。 8割と言ってもいいかもしれない。 それだけ不純物は多い。 後からみてみると全く興味深くないことがほとんどだ。 この事実に対して…

人生なんて適当に、楽しく生きてやればいい

苦労したら報われる。 歯を食いしばって頑張ったら必ず誰かが見てくれている。 継続は力なり。 ストイック、つまり禁欲的になれば成功できるし、成功すれば幸せだ。 こういう考えが大嫌いだ。 自力に見えて他力本願。 今を生贄にすれば未来のある時点では変…

思考を楽しくするための主人公意識

思考というのは心動を錨としたもの、つまり心の動きを中心に据えて行わなくては楽しくない、というのは前の記事でも書いた。 そしてそのためにはある対象に対して頭を突っ込んでいくことが必要だと述べた。 そしてその頭の突っ込み方として重要なのが主人公…

とにかくまず自分の心に目を向けること

意味を求めると虚無になるため、すけべ心を捨てて目の前のことに熱意を持って熱中したい。 そのためにはまず楽しめる心を持つ必要がある。 そして楽しめる心には、健全な精神が不可欠だ。 しかし日常において習慣づいてしまっている行動は、往々にしてあまり…

健全な心が全ての前提である

今楽しくないのは、今ここに不健全な心があるから。 当たり前だがこれを大前提に据えない限り諸々の表面的なデメリットらしきものに目がいってしまう。 例えばSNSが薄い充実しかもたらさないのは、何か楽で楽しいこと転がってないかなぁという依存心であった…

衝動を受け流す癖をつけるメリット

大きな良心動がありそうな方向に動けばそれがその時の最適解なのだが、人間は必ずしもそうは動かない。 なぜなら今まで染み付いた癖があるから。 そしてその癖というのは大体の場合、楽でそこまで楽しくないものである。 SNSでメッセージを送ったり動画を見…

メモによる抽象化思考が幸福である理由

メモを使って自らの心動を考察し、その対象の特徴量を抽出する抽象化&他の具体的対象への転用思考。 これが幸せである理由は、これら一連の思考及びその展開が仲間集めであるからだ。 一見異なるように見える複数の物事をある一つの特徴量によってつなげる…

良心動総量と孤独の関係

幸福という言い方が嫌いなのは、それが漠然としているだけでなく、他人の価値観に基づくものであるようなイメージがあるから。 結婚して家族を持つなどの一般に幸せだとされる光景を善と前提した上でそこに向かっていこうとする盲目的な行動を惹起する気がす…

心が生き返る頭の突っ込み方

昨日、スマホによって一時的に好奇心や前のめりさを失った心を蘇生するためにはとにかく何にでも頭を突っ込んでいくことが最善であると書いた。 ここでは具体的な方法を2つ述べる。 まず一つ目は「なんで?」を言いまくること。 SNSによって即時の報酬を得る…

全ての未知に頭を突っ込めば全てが解決する

楽しさの感じ方を忘れた死んだ心。 これを蘇生するには、習慣的にメモを取り自らの心にフォーカスするという長期的な戦略だけでは不十分だ。 なぜならどんなに好奇心が順調だった日でも少しSNSをいじってしまうとまた硬直した、楽しいセンサーが著しく低調な…

心的充実の連続が結果的に意味を生むのであってその逆は絶対にないという話

その瞬間を楽しめないのであれば長期的に続くわけがない。 長期的な継続がないのだから意味がもたらされるわけがない。 つまり意味を求めようとするすけべ心が結果的に意味から最も遠ざかる要因であるという皮肉なことが起きる。 ここで重要なのは行為対象は…

思考を楽しくするための自問

思考というのは主観、感情、心動を出発点として行うのが良い。 そしてそれを展開する場としてメモを傍に置くことによって、思考及びその言語化を強制することができるため思考を楽しめる確率が上がる。 しかしメモを用意しても肝心の主観や感情が出てこない…

死が怖いのは絶望と諦めが足りないから

死が怖い。 そんなことを考え始めると夜も眠れず、何も手に付かない。 さっきまでそんな気分だった。 死というゲームオーバー制度に直面すると全価値の形骸化が起こる。 人生の無意味性に悩む悲観的な虚無主義は、超人への中間状態であるとニーチェは言う。 …

心動を錨とした思考 〜メモを傍に置くことによる強制言語化習慣〜

全ての思考は心動、つまり何らかの感情ドリブンでないと楽しくないから長続きしない。 プラスの感情で言うとワクワク(好奇心)、心が暖かくなるようなホワ〜っとした幸せな感情、不確定性に基づくドキドキ(興奮)など。 中立およびマイナスの感情では違和…

その瞬間を楽しくするための習慣

俯瞰性、客観性を持つことは悪だ。 それは遊びにおいて。 何かをしている自分を客観的に上から見るような精神ではいつまで経っても目の前の遊びに没頭できない。 なぜなら目の前の物事の楽しさをマックスに味わうためにはその対象に全精神力を投下する必要が…

その瞬間を楽しくするための習慣

俯瞰性、客観性を持つことは悪だ。 それは遊びにおいて。 何かをしている自分を客観的に上から見るような精神ではいつまで経っても目の前の遊びに没頭できない。 なぜなら目の前の物事の楽しさをマックスに味わうためにはその対象に全精神力を投下する必要が…

楽しくないSNSと徐々に、しかし確実に距離をとる

行為の向こうに透けて見える意味を意識するスケベ心、というものを捨てて楽しさを主体的に取りに行く姿勢を身に着ける。 行為の対象に対して隷従し”楽しみは与えられるもの”だの”体系的網羅的に行為を行おう”だの考える奴隷心を捨てて、全ては楽しむための道…

人生の主人であることを強く意識することの重要性

自分の人生の主人が自分であるという至極当然の事実を忘れていると、時として意味、つまり他人の設定した価値観に囚われてしまい時間を無駄にし、楽しみを感じられず虚無に陥る。 例えば本を読んでいる時も主人は自分であって本は奴隷である。 本というもの…

スケベ心が楽しさを0にする

スケベ心とは何かの奥に透けて見えるものに目がいってしまい、今ここに熱中できていない心のことである。 この心が、全ての楽しさを0にする。 つまり意味への欲求が今この瞬間の楽しさへの熱中を抑え込んでしまう。 自分もここ最近スケベ心が出ないように、…

死んだ心を蘇生する方法

他人の価値観の奴隷となり、自らの熱量の存在しない意味を追い求めて行動し、その度に虚無と絶望に苛まれる…こんなことを続けていると当然自分のやりたいことなんてわからなくなる上にとてつもなく重要な心の性質を失うことになる。 それは楽しむ心である。 …

行為ではなく熱量を真似る

どんな分野でも 間違いを恐れずに質問をしろ! だの 失敗は成功に向けた経験値だから失敗を恐れず行動しろ! だの言われる。 何かを為そうとしたときには正しいが、行為自体を真似すべきではない。 なぜなら失敗を恐れないというのは、失敗したときの他人の…

意味を求めるからこそ虚無から抜け出せないというお話

ここのところ完全に虚無が癖になっている。 広く4年ほど。 特にここのところは酷い。 大学に入学して、卒業するまでこのクセは抜けなかった。 こういった類の思考が出てくる時には一つ上から自分の感情を見なくてはならない。 というかそうでもしなければそ…