何でも楽しいモードになる能力
心ここにあらずの時,死が頭をよぎる.
過去に未来に,そして他人に意識が向いている時,生きている実感を得られない.
なぜなら今この瞬間に自分が存在している,という至極当たり前の事実に目が向いていないからだ.
よって裏を返せばマインドフルに,つまり今この瞬間に意識を向けられていれば,自らの存在意義などを問うことはしないと考えられる.
そしてマインドフルに今この瞬間に生きる,というのは単に意識が現在に向いていることを指しているのではない.
現在に意識が向いている上で,眼前の物事に対して高い感度を持って接している状態を指しているのだ.
平たく言うと,何でも楽しいモードである.
つまり眼前にある物事が何であっても,好奇心を広く持てるオープンな心を持って対峙すれば楽しめるのだ.
ではどのようにすればそのようなモードに入りやすいか.
それは
- 何も楽しくないモードに入っていることを認識し,その先に楽しいモードはないことを自覚する
- 呼吸や体性感覚を通じて現在に意識を向ける(この時に過去未来や他人にトリップする心の存在は否定せず受容すること)
- 何か一つ対象を選び,とにかく始めてみる
という手順だ.
重要なのは,つまらないと感じている原因は眼前の物事にはないということだ.
自分の心が硬く閉ざされており,過去未来や他人に意識が向いているが故に眼前の物事の魅力を感じる心の容量が残されていないのだ.
はっきり言えば,自分が原因なのだ.
これは一見自責に見える.
確かに高い攻撃性を持つ自責は不必要だが,自らへのニュートラルな責任転嫁により「自分次第で状況を変えられる」というポジティブさを持つことは重要である.
この場合においては,自分が何でも楽しいモードになることができれば眼前の物事を楽しむことができる,と認識することが重要だということだ.
上記のステップで何でも楽しいモードになる訓練をすることが,不必要な自責による現在の素通り,つまりマインドレスな状態を脱するのに最善の策である.