思考を楽しくするための主人公意識
思考というのは心動を錨としたもの、つまり心の動きを中心に据えて行わなくては楽しくない、というのは前の記事でも書いた。
そしてそのためにはある対象に対して頭を突っ込んでいくことが必要だと述べた。
そしてその頭の突っ込み方として重要なのが主人公意識だ。
例えば経済学史の本を読んでいるときに、封建制において余剰生産物が発生したことからそれらを農民同士で交換し合うことで商品経済、つまり自給自足では生産できないものを交換するシステムが生まれた、という記述を読んだとする。
この時にどう考えるか。
これを他人事として流れを抑えることに終始してしまうとそれは意味への追求となってしまい虚無になる。だから楽しくない。
そこで主人公意識、つまり物語への介入を行うのだ。
具体的には「俺だったら封建制の中でどのようなことを思うだろうか?」などと考えてみるのだ。
自分の存在意義を見出せないだろう、と考えてみる。
それはなぜかというと、ただただ年貢を治めることを目的に据えて農作業に没頭するのはある程度までは習熟が起きて楽しみもあるかもしれないが、その習熟曲線の勾配が緩やかになってくると徐々に単調な作業の繰り返しになり自らが作業を続ける効果が薄れてくるから。
そんな封建制の頃に描かれた絵画ってどんよりしてそうだな…調べてみよう。
じゃあ習熟した後に俺はどうするだろうか?
貨幣がない時代にそれを生み出すほどの熱量はないだろう。
というかまず発想がないだろう。必要がないのだから。
でも確かに余分にできた生産物を何か別のものと交換したくなるかもしれない。
暇だし何か今手元にない何かを欲するだろう。
何を思考対象にするにしても、自分だったら…という主人公意識がないと、時間的にも空間的にも遠く自分の関係ないところで起きたもしくは起きている物事に真の好奇心は湧かない。
何にでも主人公意識を持って頭を突っ込んで行ってみると心が動くし、その周りで色々と思考してみるのは楽しいものである。
特に歴史という分野は感情を動かすという意味で行いやすいと思う。
なぜなら歴史というのは人間という感情を持った生き物が成した物語であるからだ。
感情移入ができないときには様々なものの歴史に頭を突っ込んでみるのがいいかもしれない。