点に集中し、それでもつまらなければメモらない
ここ2週間ほどメモを取りながらいろいろなものに触れてみて気づいたことがある。
それはメモの大半はゴミであるということ。
8割と言ってもいいかもしれない。
それだけ不純物は多い。
後からみてみると全く興味深くないことがほとんどだ。
この事実に対してどのような態度を持って学ぶのか。
それは自分の心に正直にメモるということだ。
初見でつまらない、何も感じないと思った物事はあとで見返しても大したことはない。
だからそんなものはわざわざ時間を使ってまで書きとる必要はない。
よって初見で面白く感じたもの、違和感を感じたもの、それらのみを書き留めておく。
間違っても主観の含まれない客観的事実をまとめることに時間を使ってはならない。
しかしここで重要なのは、点に集中することは少なくともすべしということだ。
意味を求めるというのは線を求めるということだ。
歴史を学ぼうとしたときに、知識を詰め込もうとするのは論外だ。
楽しくない。
かと言って歴史の流れを押さえても何にも楽しくない。
重要なのは流れや知識に気を止めずに、目の前にある一事象に集中し、心が動くかどうかを観察することだ。
今回メモをとるに当たって気をつけたことが一つある。
主観の含まれない点、つまりぶつ切りで何の感情も持たなかった情報、いわゆる知識を書かないということだ。
しかし主観の含まれない線、つまり感情は抱かなかったが流れのある、一見有機的な情報は書いてしまっていた。
しかし流れをまとめ、書いている時ほどつまらない時間はなかった。
まとめ
ポジティブな心に基づく点への集中を前提として自らに情報を通し、違和感や興味関心という心の動きが出た時のみメモを取ればいい。
それ以外はゴミ。