虚無と闘う大学院生

大学4年間を虚無と堕落で埋め尽くした大学院生が熱量を取り戻すまでを描いたブログ

良心動総量と孤独の関係

幸福という言い方が嫌いなのは、それが漠然としているだけでなく、他人の価値観に基づくものであるようなイメージがあるから。

結婚して家族を持つなどの一般に幸せだとされる光景を善と前提した上でそこに向かっていこうとする盲目的な行動を惹起する気がするから。

 

だから良心動という言い方をする。

これは読んで字の如く、良い感じの心の動きである。

つまり自分の心の動きにスポットを当てる。

どんなことであっても自分の心がいい感じに動いてくれていればおk。

逆にこれが止まっていたり退屈そうにしていたら何をしていてもダメ。

 

人生は各瞬間における良心動総量を最大化するゲームである。

精神状態において、本質的に孤独であるかどうかは良心動総量に大きく影響する。

まず大前提として物理的に一人で存在していたとしても何か良心動を生み出すことをしていれば孤独ではない。

本質的な孤独さというのは必ずしも物理的なそれと一致しない。

だから一人で楽しめることをし続ければいいかというと、良心動総量最大化の観点から言うとそうは言えない。

なぜなら一人なのか他の人との関わりの中でなのかは関係なく、良心動を最大化すればなんでもいいからである。

だから結論は、一人での楽しみ方も人との関わりの中での楽しみ方も心得ておくのが良いということ。

色んな状況で楽しめるに越したことはないのである。

 

具体的なことはこれから考えるが、このスタンスで楽しめる物事を広げていきたい。