虚無と闘う大学院生

大学4年間を虚無と堕落で埋め尽くした大学院生が熱量を取り戻すまでを描いたブログ

健全な心が全ての前提である

今楽しくないのは、今ここに不健全な心があるから。

 

当たり前だがこれを大前提に据えない限り諸々の表面的なデメリットらしきものに目がいってしまう。

例えばSNSが薄い充実しかもたらさないのは、何か楽で楽しいこと転がってないかなぁという依存心であったり、ひとりぼっちで寂しいなぁという孤独感であったり、あの子は楽しそうにしていていいなぁ羨ましいという嫉妬や劣等感だったりといった不健全な心のみが原因であって、決してSNS自体ではない。

もちろんSNSは有用な使い方をすることもできるがここで言っているのはそういうことではない。

有用な使い方をしても、心が貧相で不健全だと楽しくない。

つまり有用性ではなく自らの心の健全性のみが楽しさを決定しているのだ。

 

そしてひっくり返せば、健全な心すらあれば何をしたって楽しいのである。

ゲームで負けていてもそれをポジティブに解釈できれば楽しいに決まっているのだ。

 

そしてこの健全な心というのは何か道具が必要ではなく、自分の身一つでできる。

1. ネガティブな感情が出てきたときに、それは自分の思い込みだとぼんやり思う

2. 瞑想などで心身の力みを和らげる

3. なんとなくスッキリしたら何かを始める

とにかく心身をリラックスさせるということだ。

ここで重要なのは焦らないこと。

なんとなくスッキリすることなんてできない!のではなくまだその技術が低く時間がかかるだけのこと。

 

そしてこれを習慣化していくこと。

自分も最近思い込みを認識し、力まず放っておいてあげることを癖にしているが気持ち不必要な波がなくなっていることに気づく。