虚無と闘う大学院生

大学4年間を虚無と堕落で埋め尽くした大学院生が熱量を取り戻すまでを描いたブログ

最高の心を育てる習慣

最高の心とは何か。

私心=雑念がなく、ただ目の前の物事に没頭している心だ。

このような心である時、過去や未来への執着と不安や、無力感、意味を追い求めるが故の、つまり長いスパンにおける効率を求めるが故の虚無感などは入り込む隙間がなくなる。

そしてこのように目の前の物事に没頭できているときには、その対象への感度が非常に高まっているため、最大限楽しむことができる。

これこそが最高の心と称した理由である。

 

しかし心には波がある。

最高の心を持って熱中している時もあれば、何にも集中しておらずさらにその状態に自責の念を覚えているためより悪い精神状態になるような負のループにハマってしまっている時もある。

これらの精神的な悪い波が起き始めてからそれを鎮め、最高の心を得るまでの時間は短ければ短いほど良い。

 

つまり重要なのは熱中への瞬発力である。

これは目の前の物事が魅力的であるかどうかなどは全く関係ない。

最高の心を持っている間は何に触れてもそのものの魅力を最大限感じることができるのだ。

 

このような熱中への瞬発力はどのようにして得られるか。

瞑想では足りない。

なぜなら瞑想というのは、無駄を削ぎ落とし無の境地に到るための方法だからだ。

ラッセル幸福論にもあるように、真の幸福とは己の外界へ私心なき好奇心を向けた時のみに起こる。

瞑想は心を落ち着かせるために最高の手段であるが、熱中への瞬発力というある意味外界の攻撃特性を高めるためには不十分である。

それではどうすれば良いのか。

 

それが0秒思考である。

自分はこの本は読んでいないのだが、瞬発的な集中力を高めるには良さそうだと思ったため、内容の要約サイトをもとに試してみたところ非常に良いことがわかった。

ある主題に対して1分間でとにかく思いついたことを書き並べるというもの。

 

熱中への瞬発力を高める上で重要なのは、書く内容は重要ではないということ。

もちろん長期的な効果としては思考の質が高まっていくかもしれないが、今回の目的はそこではない。

質は低くて良いからとにかく頭の中にあるモヤモヤを雑に言語化する、という行為は外界へのアウトバウンドな働きかけなのである。

それのみで大きい意味を持つ。

 

0秒思考には2つのメリットがある。

 

まず1分間という筆記には短い時間制限のおかげで強制的に熱中できること。

熱中=楽しい行為なのだという成功体験が積み上がる。

 

そして第二に外界への働きかけへの瞬発力向上である。

思考の言語化を筆記という形で外に出す、という行為は外界への強い働きかけである。

これによって外界への熱中習慣が身につき、熱中への敷居が低くなる。

そしてこのメリットによる偉大な副産物として、健やかな攻撃性が精神に宿る。

これはいわゆる自信である。

自信というのは自らを信じることであるが、同時に外界への攻撃性を必要とする。

この攻撃性は非生産的な感情を含まないものであるべきであり、この養成に0秒思考は役立つ。

 

これら2つのメリットによってある強化学習が行われる。

それは外界への働きかけ=熱中=楽しいという結合の強さに対してである。

即アウトプットという外界への働きかけは熱中することができ、そしてそれによって楽しさを感じる。

これを繰り返すことによって、自ら外界へ興味を持ち働きかけたくなるような健全で幸福な最高な心が養われていく。

 

0秒思考、続けます。