虚無と闘う大学院生

大学4年間を虚無と堕落で埋め尽くした大学院生が熱量を取り戻すまでを描いたブログ

読書が楽しくない最大の理由と解決策

本は心が真にワクワクしながら読める時もあれば、そうでない時もある。

もちろん、ベースとしての精神状態が孤立した荒んだものであれば読書法などは全く関係ない。

しかし自己受容と適度な鈍感さを持ち合わせた健全な心を持ってしても楽しくない時はある。

 

その理由としては、本に限らずトップダウンで情報収集をしようとしていないことがあげられる。

ある本を手にした時、この本が全体として何を言おうとしているのか、主張の詳細まではわからないにしても、論の流れを最初に掴まずに読み始めてしまうと、局所における具体事象を追っかけて疲弊してしまう。

追っかけて、と書いたが正確には振り回されて、だろう。

完全に情報の奴隷に成り下がっている。

トップダウンで、つまり全体の流れの中において当該部分が果たしている役割が理解できている状態で部分を読んでいれば、幹の部分が明確になり、枝葉の情報に関しては無視することが可能となる

もちろん枝葉の情報を興味深いと感じたときにはそこを深掘れば良い。

あくまで無視が”可能である”ということだ。

 

情報の奴隷であるというのは精神状態によるものではない。

情報収集の際に全体の俯瞰をしていないから、情報の奴隷に成り下がるのだ。

 

では具体的に全体を俯瞰するには何をすれば良いか。

それは目次をしっかりと読み込むことである。

そして本編を読み始める前に大枠を掴んでしまうことである。

またその内容、主語の関係性を図にしてメモしておくことだ。

そして中身を読んでいく中でその大雑把な理解の解像度をあげていくのだ。

 

その中で抽象化をしたり、転用をして初めて楽しい思考となる。

大枠も理解せずに、部分だけを見て楽しんだふりをするのは非常にもったいない。

体系的に学ぶことに意味を感じるのは愚だが、部分の刹那の楽しさに目がくらんでいるのもまた愚である。

全体を捉えた上で部分を楽しむというのが最も楽しさが大きくなる読書法である。