具体的事象は知識ではなくゴミである
ゴミを集めて悦に入るバカは現実世界ではそうそういない。
しかし思考においてはゴミを集めてニタニタしてるゴミ収集オタクが多いこと。
俺もその一人だった。
思考におけるゴミとは、具体的事象のことである。
このゴミだけを集めるだけでは何も意味はない。
しかしゴミがなくては始まらない。
一言でまとめると、思考においては具体的事象を重視せずその奥にある抽象を常に見透せということ。
思考のフィールドとしてメモが重要な役割を果たすが、具体的事象を書き連ねるものでは本の劣化版だ。
情報を目にしたときにはその奥に目を向けて、奥に眠っている抽象、つまり物事の理由や他の具体的事象との関係性、出力の差に影響を与えている説明変数の特待などだ。
しかし自信がないほど、所有欲が働きゴミをせっせと集めたくなってしまう。
そこで本を読んだり新聞を読んだりしながらとるメモに制約をつける。
それは奥にある抽象事項に対して心が動いた時しかメモを取ってはならないことである。
このようなきつい制約を設けない限り、いつまでたってもゴミを集めるバカでいることになる。