常に目の前のものを目一杯味わうということ
浮気性とは恋愛に限ったことではない.
浮気性とは,今ここに集中しない精神習慣のことだ.
食事をしている時はテレビに目を取られ,勉強しようと思えばスマホに気を取られ,LINEをしながらYouTubeを流し見る.
ここで一つ注意がある.
仮に食事をしている時にふと目に入ったテレビ番組に”見入っている”のならいいのだ.
つまり,気を取られた先でその対象に集中しているというのは浮気性ではない.
ただの多動性である.
次々に興味が移り変わることは今回は浮気性とは定義しない.
なぜならこれは真に自分の心の声を聞き,自分の心が真に望むものに対して真剣に向き合っているからだ.
多動性は浮気性の対極にあると言っても過言ではない.
では浮気性とは何か.
それはある一時刻に注目した時に,一つのことに意識を100%向けていないことが多い性質のことである.
一日を振り返った時に何かに,真に意識を全集中していた時間があるか考えてみると,案外少ない,というか無い日すらある.
そして没頭,今この瞬間に意識を集中させることというのは時間の感覚を失わせ,幸福をもたらす.
よって何かに集中する時間を増やすことを目指す.
ここで考察したいのは,勉強と休憩の関係についてである.
勉強は何かへの集中,休憩は意識を散漫にし脳を休める,というニュアンスで捉えられることが多い.
しかしそれでは意識の集中という点において完全に異質の行為を連続して行うことになってしまい,休憩から勉強へ移行するハードルが高くなってしまう.
ピントが合っていたものをぼやけさせた時,それを再び合わせるのには労力が必要となる.
ではどうすればいいのか.
それは休憩を何かへの集中に使うべき,ということだ.
当然ある程度の時間勉強に集中した場合,脳のエネルギーを消費していると考えられるため,一定時間思考や視覚に使われる脳の部分を休める必要はあるだろう.
しかし勉強の時には使われていなかった脳の部分があるはずであり,そこを用いれば何か別の対象に意識を集中させることは可能である.
例えば音に集中すること.
音楽を聞くでもいいし,身の回りの音に耳を傾け,それに集中するでもいい.
音楽を聞く場合,あまり意味に気を取られるような曲を選んでしまうと思考が休まらないため,聴覚に直接訴え,感覚のみで受容可能なものを選ぶ必要がある.
あとは味覚に集中すること.
何でもいいから口に入れ,それを味わってみる.
個人的に効果を感じているのは体性感覚に集中することだ.
例えば,重力を感じることや,呼吸時の体の動きを見ること.
体の各部分に意識を向け,客観視を行い,その部分に働いている力に思いを馳せる.
これらの行為は思考ではなく感覚であるため,勉強における疲労の回復を妨げない.
それどころか促進するほどである.
このように目の前にあるものに感覚を集中させるということを繰り返す.
そうすれば様々な場面で集中することが容易になると,最近実感している.