虚無と闘う大学院生

大学4年間を虚無と堕落で埋め尽くした大学院生が熱量を取り戻すまでを描いたブログ

とにかくアウトプット!に対する疑念の解消と入信の話

まずアウトプットから入ろう!

アウトプットを意識したインプットをしよう!

 

こういった文言に対して否定的だった.

なぜなら,インプットもしないでアウトプットに取り掛かろうとすれば,自分が何も知識が無いことに対しての羞恥心に耐えられず,アウトプットどころではなかったからだ.

 

しかしここ3習慣ほど毎日朝夜5分ずつの瞑想を習慣にし,マインドフル,つまり今に意識を集中させることが徐々に染み付いてきた今このことについて考えてみると,違った結論が浮き上がってくる.

それはアウトプットから入ることの合理性である.

 

そもそもなぜ俺はインプットなしのアウトプットによって羞恥心を感じていたのだろうか.

それは過去への後悔というマインドレスな状態が習慣になっていたからではないか.

マインドフルを習慣にしている今だからこそ気付けることなのだが,その当時はそのような考えの枠外にいたため気づきもしなかった.

マインドフルに,つまり意識を今ここのみに集中できるようになってきた今,アウトプットから始めることは正しいと感じている.

 

大学院のレポートをやっているときに感じたことを述べる.

レポートというのは一般的に,自らが日常的に興味を持っていることの外の話題について,自らの意見を述べなければいけないものである.

しかしここのところその作業に非常に没頭できているのだ.

なぜか.

それは解くべき問題が明確になった上で,その助けになるような情報を探しにいくインプットには,ゲーム性があるからだ.

そして解くべき問題というのは明確さが重要なファクターであって,それに対する興味・好奇心の程度はさほど重要でないということも判明した.

なぜなら,講義のレポートという自らの真なる興味とは言えない事柄に対しても例外なく没頭できているからだ.

 

また今回の経験で発見したもう一つの重要な事実は,わからない問題に対してもとにかく手を動かして書いてみる・タイピングしてみることによって,何がわからないかがわかるということである.

今までわからない問題には,わからない理由を直接探る前に,まず周辺知識を入れようと試みていた.

なぜならマインドレスな状態であったが故に過去への後悔の念が容易に表出するため,その低い自己肯定感を高めようと,目的のない知識で自分を武装する必要があったからだ.

しかしそれは目的直結的ではない.

当然だ.

自分がわからない,という事実を受け止めるだけの心の余裕がないから,わからない事実から逃げようとするのだ.

仕方のないことだ.

しかしマインドフルであることを染みつかせていくと,徐々に自分がわからないという事実を真正面から受け止め,とりあえずアウトプットしようと試みることができる.

一切その分野に関しての知識がなくても,である.

 

とにかく手を動かしてみると,当然ながらわからないところが出てくる.

そして何がわからないのか,ということを嫌でも考えざるを得なくなる.

壁にぶつかり,自動的に原因を考えざるを得なくなるという状況を作り出すにはとにかく問題に対しての考えを吐き出すしかないのだ.

 

そしてそのために最低限必要なことというのが,先ほど述べたように解くべき課題が明確であることなのだ.

解くべき問題が明確であるからこそ,”自分がわからない”ということが判定できるのだ.

つまり無知の知である.

 

まとめ

自分の思いついた問題を明確にし,とりあえず設定してみる.

その上で,それに対して今考えられること,感じられることを吐き出してみる.

そうすることによってようやく自分が何をわかっていないのかがわかり,動き始められるのだ.

そして何より,問題を設定し達成することは没頭に向けた最高の手段である.