メンタルフレキシビリティーとは離見の質と早さである
メンタルタフネスという言葉に嫌悪感を感じる。
それはタフであること、禁欲的で感情の抑圧に成功すること、といった禁欲性に着目している点が気に食わないから。
誰もストイックであることに憧れ、ストイックに生きようと心がける。
そのために浮かんでくる自らの感情を押さえつけたり、感情と向き合わずに逃げたりする。
4年間禁欲的に生きようとした俺だからこそわかることだが、これでは何も変わらない。
禁欲的であることは、衝動の爆発危険性と表裏の関係にあるからだ。
抑圧し見て見ぬ振りをしようとしていた感情は見ぬ間に膨れ上がり、本来の大きさより大きく見える。
これは恐怖、不安にも当てはまる。
人間は見たこともない幽霊に怯え、来るべき死について必要以上に恐れる。
これらは自己の感情に対する逃走・闘争反応であり、禁欲的であることの裏返しだ。
そしてこれらに共通するのが主観的であるということ。
すると自ずと答えはわかる。
必要なのは客観視、離見である。
離見というのは思考している自分を認識すること。
逃走・闘争反応をするのではなく、感情を持っている自分を客観的に眺め、放っておくこと。
離見の質というのはニュートラルに、つまり0に近いかどうか。
離見の早さというのはその状態にいかに速やかになることができるか。
これこそが真のメンタルタフネスであり、力みがないことに重点を置いているためメンタルフレキシビリティーと呼ぶ。
それは
1. 衝動と物語に対する離見
2. 没頭の入りのための呼吸
を習慣化することによって可能である。
現在自分が持っているネガティブな感情、行動へ向けた衝動を離見するまでの時間を短くし、目の前にあることに没頭するまでの時間を短くできれば自ずと豊かな時間が増える。