禁欲的義務感の観察・受容が最優先であるということ
自らの感情を正確に,率直に捉えてあげなければ感情停止が起こる.
それが禁欲的であるということだ.
禁欲的とは自らの自然発生的な感情を抑圧し,見て見ぬ振りをすることである.
自分がつまらない,と感じている時.
その感情を,心の動きを率直に観察しているか?
そしてその観察した結果判明した感情を,否定していないか?
何かをしているときの心の動きを観察せず,雑念として抑圧していると,感情が死ぬ.
感情が死ぬとは何も楽しくなくなるということだ.
要するに楽しさを感じるセンサーが一切作動しない.
何も楽しくなくなると,何もしたくなくなる.
何もしたくなくなると,何もしなくなる.
何もしなくなると,日々における達成感,成功体験,充実感いずれもマイナス無限大へと発散する.
そうなると自己評価が地に落ちる.
自己評価が地に落ちると,死にたくなる.
死にたくなると,一日中死ぬことばかり考える.
しかし死ぬ勇気もないから,結局はまた禁欲的義務感に基づいて何かを頑張ろうとしてみる.
しかし禁欲的に,つまり正のモチベーションがない状況で何かを頑張ろうとすると,全く続かない.
そうすると再び感情が死に始め,行動が続かない自分に対しての自己評価が下がり,死にたくなる.
この無限ループである.
まとめると,
- 禁欲的な義務感に基づいて行動すると楽しさセンサーが死に,行動継続不可能になる
- 行動継続不可能になったことで人生の進捗がなく自己評価が地に落ちる
- 自己評価低下により死にたくなる
- 死ぬ勇気もないから禁欲的な義務感に基づく行動を標榜し1へ戻る
ということになる.
ではどうすればこのループから抜け出せるか.
それは禁欲的になったらできるだけ早くそこから抜け出す,ということだ.
そのためには,禁欲的であるかどうかを常に自己観察し,そうであった場合にそれを認めることである.
下手に禁欲性を否定したり,抑圧してしまうとかえって大きくなってしまう.
そのように自らの感情を都度正確に捉え,抑圧せずにありのままに観察し認めることが重要である.
努力もせず何かを成し遂げようとするな,
だの
楽しいことだけで食っていけると思うな,
だのといった低い次元の話ではない.
禁欲的義務感という負のモチベーションの元に行動をしようとしても,1日も経たないうちに自殺願望まで芽生えるのだ.
そんな精神状態が何年も続いている人に何かができるわけがない.続くわけがない.
環境を変えればいい,などの外的要因の整備の話などではないのだ.
こんな精神状態の人はどこへ行ったってどんよりとしているだろう.
まずは自由で自発的な興味を外部に対して持つことのできる,澄んだ心を手に入れなくてはならないのである.
そのためにはまず自らの感情をしっかり観察し,それを抑圧せずに認めていくしかないのだ.