熱意を持った行動の軸を一つ持っておくことによる生きる希望の出現
中身も外見もかっこいい男でありたい.
いい体をしていたい.
上記のようなニュアンスのものでなくてもいいが,そのような自らの素直な熱意を元に行動することが大事である.
目標,というようなゴールの決まったものじゃなくていい.
というかそうじゃない方がいい.
目標というのはベンチプレスを100kgあげたいといった,達成可能であり達成した瞬間に意味を持たなくなるもののことである.
一方,かっこよくなりたい,いい体になりたい,筋肉つけてデカくなりたい,というのは目指す地点ではなく,向かう方向に関する記述である.
いわば方角である.
かっこよくなりたい,という望みは西に旅をするようなものだ.(これは僕のお気に入りの本の受け売りなのだが)
完全に達成されることはなく,熱意を持って行われる方向を持った量だ.
どのような熱意を持つかは別として,自分の外部に意識を向けることは精神衛生上非常に重要である.
自らの意識のベクトルが内に内に向いている状態では,自意識が過剰になり,過去の蓄積に対する自責などが誘発される.
そしてその熱意に従って行動し,前進している自分の姿を想像,イメージングするのだ.
しかも最高に鮮明に.
そして熱意を持って設定した方角に向かって貪欲に,がむしゃらに,向かっていくのだ.
日常の全ての時間を,その方角に前進するような勢いで.
全ての行動において,その方角への射影を最大化するのだ.
ご飯を食べるときにも,体をデカくすることを考えながら,ワクワクしながら,楽しんで味わいながら食べる.
歩くときにも,いい体であることを想像しながら地面を踏み締める.
寝るときにも,筋肉が十分やすみ,次回の筋トレの際に十分力を発揮できるように想像しながら寝る.
仕事をするときにも,この仕事で稼いだお金で鳥胸を,コメを買い,ジムの月会費を払うのだ,と考えながら一生懸命に取り組む.
そのように全ての行為を自らの熱意の方角に結びつける.
しかし一つ大事なことがある.
それはミクロには禁欲的である必要があるということだ.
マクロに,つまり自分がどの方角を向いて歩みを進めるかということについては,ポジティブに,motivativeであるべきだ.
しかし実際にその方向に何らかのミクロな行動をすることは,体が拒絶する場合が多い.
楽をしたいからだ.
よってそのようなミクロな不行動に対しては環境のような強制力を持ち込んで,良い方角に向かわせる必要がある.
じゃあ自らがもった熱意の他の方角についてはどうする?
そんなことはどうでもいい.
とりあえず一つ熱意を持ちその軸に対して目的関数を最適化することを考える.
それにより,少なくとも一つの生きる理由ができる.
全てはそこからだ.
そこからすべきことは何か.
それは新たな熱意を探しに,新しい行動を続けることだ.